私が開院した理由

料理人志望からの不純な動機


私がこの仕事を選んだきっかけは高校3年の秋です。
高校を卒業したら料理人の道に進みたいと父親に了解をもらい、夏休みには当時、日本で1番の大阪阿部野にある辻調理師学校の1日入学に行き将来は板前になる予定でした。
(当時は好き嫌いが酷く洋食や中華食材がほとんど食べれなかった為)

それが何と、秋に人生の転機となる出来事が起きたのです。
それは、父の知り合いの整体師が我が家に遊びに来て「二朗太も高校卒業したら調理師なんかじゃなく整体師にした方がいい」と父親に話したのがきっかけで、父がそれにノリノリで私に調理師じゃなく整体師になれと言い出したのです。
勿論、私は嫌だと反抗したところ、親の言うことが聞けないのなら出てけと言わんばかりの剣幕です。
2人に整体師になる事を一晩がかりで説得されました。

この知人に言われたことは、
二朗太は帝国ホテルなどの総料理長になりたいのか、それとも、自分のお店を持ちたいのか、と聞かれました。
私は自分の店を持ちたいと答えると、帝国ホテルのような一流ホテルでトップに立つには20年かかる。
トップになっても給料は40〜50万、
店を出すには厨房設備だけでも500万、
それに店舗代もかかるからかなりの額のお金が必要。
整体院に弟子入りして、それでも調理師になりたかったら、調理師学校の授業料もお店を出すお金や設備代も全て、父親と俺が出すから、大学に行ったつもりで5年間修行してみないか。
と言われました。
当時、その整体院は1日70〜80人位来院があると言っていました。
数学で赤点を取ったことのある私でも、単純計算でもかなりの収入です。
魅力的な数字でした。
5年間我慢すれば自分の店が持てるのなら、修行してみようと、不純な動機でこの世界に入ったのがきっかけです。

整体院に住込みで弟子入りした修行時代

私が修行した整体院は、病院やどこに行っても治らない患者さんが、遠方から泊まりがけで来院するような整体院でした。

高校卒業後、住み込みでの内弟子生活の始まり、夜は国家資格を取るために日本指圧学校に通いました。
初めての給料?おこずかいは高校出の初任給8万円の時代に8千円です。
やると決めたからには頂点を極めようと、必死に整体を修得する日々の始まりです。
その整体院は骨盤と全身の骨格をボキボキならす調整法でした。

当時は2年で国家資格が取れました。
ちょうどその時期に支部を任されていた先輩が卒業されたので、その後任で亀有支部を任されました。この時20歳でした。

人生最初のターニングポイント

亀有支部の院長就任、1日30〜40人、多い時で50人の患者さんをみていました。
この亀有で人生最大の転機がありました。

それは、
病院で匙を投げられた心臓疾患の患者さんがとの出会いです。
病院に長年通っても良くならないので、治りたい一心で片道1時間以上かけて通院してくれました。
動くと動悸・息切れなどの症状で、日常はほぼ、寝て過ごし家族の食事は店屋物という生活。
初診から半年異常経過した頃は動悸や息切れなどの症状が軽減して、道で会った出前のお兄さんに「最近頼んでくれないんですね」と言われるくらいに回復。
通院1年頃には、大学に入る長男のお弁当を、朝5時に起きて作ってあげられるようになったと、涙ながらに喜んで感謝され私も目頭が熱くなったのを今でも覚えています。
高校まで勉強もした事がなく、遊びほうけていた私が先生と呼ばれ、自分の親くらいの患者さんに涙ながらに感謝される。
病院やどこの治療院に行っても治らなかった患者さんが自分がやった施術で良くなる。
体の中から込み上げてくる得体の知れない充実感。
そして、これを機にこの仕事を天職にする事を決心しました。

昇進、疑問、探求の旅の始まり

そして2年が経ち、本院の責任者の先輩が卒業、そして本部院長に就任しました。
22才の時でした。
就任して間も無く本院は来院数が1日200人以上になりました。
数人の後輩たちと施術していましたが、重症な患者さんは私が診るのもあり、40人以上はみていました。
それまでとにかく関節をボキッと鳴ったらズレが入ったと教えられていたので、とにかく鳴らせない関節が無いくらい全身をボキボキ鳴らしていました。

何万人も施術していて疑問が出て来ました。
それは、鳴らしてズレが入ったにも関わらず治る人と治らない人がいる。
毎日来院する人、一日置きに来る患者さんが調整するたびズレているのでボキっとなる。
毎朝、練習でお互いに調整し合うが、どこも悪く無い自分ですらボキっとなる。
ズレ?脱臼なら整復される時、整復音でガクッとかボキッとかなるけど、整復されたら関節は正常な位置に治り、2度と音はしない。
何故、ズレが入って治らない人がいるのだろう?と思うようになりました。

私が整体を天職にした動機は、どこに行ってもダメだった患者さんを良くする事。
今、それが出来ていない。何故なんだろう?

色々調べたら、整体以外にもカイロプラクティックやオステオパシーなどの治療法があることを知りました。
本を買いあさって勉強したり、知人に聞いたりして出た答えが、カイロプラクティックを勉強するでした。

5年の年季奉公でしたが、22歳の時に結婚したのもあり、1年のお礼奉公をしました。
この最後の1年間は、先生には内緒で整体院が終わってから池袋にあるパシフィック・アジア・カイロプラクティック協会(PAAC)付属のユニバーサル・カイロプラクティック・カレッジの夜間部に通い、カイロプラクティックの代表的なテクニックとオステオパシーなどの手技療法や、バイオメカニック、関節生理学、漢方などのを学びました。
この時習ったことを、整体院の症状が改善されない患者さんに使ってみると、効果があり驚きました。
整体院退職後、本格的にカイロプラクティックを学ぶためにカイロプラクティックで有名な先生の元に弟子入りしました。
この時同時に、柔道整復師の夜間部の学校に行かせてもらいながらの修行が始まりました。

人生二度目のターニングポイント


ここが人生2回目のターニングポイント。

しかし、当時は徒弟制度でまた下っ端からのスタート。
整体院で本部の責任者になったときは、責任者手当てがあり当時の大卒の初任給の3倍以上はもらっていました。
スタートが8000円ですから、5年で大進歩でしたが、今回の給料は国家資格があったのと結婚して長男も生まれていたので10万円でした。
先生の配慮で住み込みではなく、近くのボロアパートの一室を借りてくれました。
六畳一間、風呂なしトイレは共同、一口コンロと半間の流しで換気扇なしで魚も焼けない。
家内もよく我慢してついて来てくれました。
先生も5人子供がいて1番下の子が聖司と一緒、奥さんがあのアパートじゃ可哀想だと3ヶ月で近所のマンション?に移らせいただきました。

ここも厳しいところで、朝7時入りで掃除、昼休みに下っ端はポスティング、夜は勉強会かミーティングで深夜1時過ぎは当たり前。
勉強会が早い時間だと、学校から帰って来てからそのまま参加、食事は帰宅してから。
そんな生活の中、家内は安い給料で生計をたて、学校に行くための定期代を聖司が寝静まってから内職をしてやりくりしてくれました。
家内あっての修行時代でした。
1年目は雑用とアシスタントをしながら、カイロの臨床と先生独自の手技療法を学び、2年目には先輩と綾瀬の分院を任されました。

この頃はまだ、カイロプラクティックとしては初心者でしたが整体院での臨床経験(重症の腰痛、原因不明の難病・奇病、がんの患者さんに至るまで)は大変役に立ちました。
柔道整復師学校を卒業し国家試験に合格した年に、ここでの修行を終えて横浜に引っ越しました。
知り合いの先生の紹介で三ツ境の接骨院で半日だけ手伝って欲しいといわれ、柔道整復師の勉強になると思いしばらく勤めることにしました。
この接骨院は骨折や脱臼の患者さんも来院するので、免許持ちの私に先生の指導のもと捻挫だけでなく、骨折、脱臼の整復も体験できた貴重な期間でした。

茅ヶ崎に戻り開業、独自の施術法の開発、

横浜から茅ヶ崎に戻り、午前中は自宅のアパートや実家、往診で近所の患者さんを診ていました。
1年位過ぎ、午前中で見切れなくなったので接骨院をやめさせていただき、自宅近くの店舗付き住宅の2階の住宅部分を借りて、湘南カイロプラクティック オフィスを開業しました。
昭和63年(1988)の1月8日でした。

この頃は本場アメリカから有名なカイロプラクティックのテクニックの創始者が来日してセミナーが盛んに行われていて、トムソン、ピアーズ、ローガン、ディジョネット、リースなどの大御所から直伝で教わることができました。
並行して、ナショナル系(ボキッと鳴らすカイロプラクティックのテクニック)の最大組織、日本カイロプラクティック総連盟(その後豪州州立大学RMIT、現東京カレッジofカイロプラクティックの前身)に入学し認定を取得しました。
それとは別に、毎月何回かの高額なセミナーと高価な医学関連書の購入で、当時家内には「金食い虫」と言われていました。(現在では、息子達に父さんの今あるのは若い時にセミナーに通って勉強していたから、あなた達も頑張って勉強しなさい、と言ってくれています)
そんな私ですが、休日があれば家族と海で釣り、河原でBBQ、夏は軽井沢に遊びに行き下田で海水浴、、冬は富士山にソリ遊び、子供が小学生の頃からはスキーと、遊ぶことにかけては誰にも負けない自信があります。
それが良かったのか、仲がいい三兄弟だと思います。
今現在は、孫も連れて、釣りや夏のBBQ、日帰りでの軽井沢と下田の海水浴、クリスマスのローストビーフパーティーは高木家の年中行事になっています。

この頃から患者さんを治療していて感じ始めたことがあります。
それは、セミナーに行くと今まで治らなかった症状が治せるようになります。
しかし、数ヶ月もすると治った患者さんはいいのですが、治りきらない症状が残ります。
また違うセミナーを学び、そのテクニックので施術すると良くなります。
治せるようになるとさらに重症、慢性、難病奇病の患者さんが来院されます。
1つクリアするとさらに難題が与えられ、その壁をぶち破るためにテクニックの勉強をしてきました。

そんな時思ったことが、今やっているテクニックで治らない症状に直面した時、新たなテクニックで検査すると異常が見つかり施術すると効果がある。
症状の原因を自分で見つけられないからセミナーに出るの繰り返し。
症状の原因とはなんだろう?
創始者達は皆、自分で開発してきた。
自分で独自のテクニックは考案できないものか?と考え、解剖・生理・バイオメカニックなどなど基礎に戻って、人間の体の仕組みを徹底的に研究しました。

その時いくつかの疑問と閃きがありました。
それは、骨格を調整する際、関節を動かす時に動かす骨に対して反対側の骨を固定しないで調整している事。(例えばボキッとやる施術)
固着している関節を固定無しで動かせば関節はくっ付いたままなので、その骨だけ動かすことは不可能。
しかしほとんどのテクニックは動かしたい骨だけに接触して調整をします。

脊柱や骨盤は可動性を見るテクニックもあるが、症状との因果関係は定かではない。

例えば腰痛、
代表的な病名は、椎間板ヘルニア、脊椎管狭窄症、すべり症、分離症、変形性腰椎症などです。
腰痛の症状といえば、
腰を屈めると痛い、座っていると痛いタイプ
腰を伸ばす事が痛い、立っていると痛いタイプ
その両方のタイプ
坐骨神経痛を伴うタイプです。
何かしらの病名がついても、症状は上記のどれかに当てはまります。
腰痛といっても症状は患者さんによって異なりますが、それらの症状別で原因についての詳細はありません。
ヘルニアだから神経が圧迫されてる側に痛みが出るわけではなく、全体だったり反対に痛みのある方も大勢います。
狭窄症と検索すると、間欠性歩行(少し歩くと腰や足に痛みやシビレが出て歩けなくなり、しゃがんで少し休むと症状が消えて又少し歩けるけるようになる)が特徴で、このタイプの人は座っていたり屈んだりしても痛むことはないのです。
でも、座ってても屈んでも痛みがあっても画像診断で狭窄が写れば狭窄症と診断されます。
症状的には、狭窄と診断されなかった、腰痛の患者さんと同じです。
なので、通常の腰痛の施術を何回か受けてもらうと症状は改善されます。
MRIやCTの普及でヘルニアや狭窄症と診断される患者さんが、近年凄く多くなりました。
しかし、先に述べた代表的な病名でも、この病名だからこの症状というわけではないのです。

腰痛に関しては症状と病名が一致しない、確定診断がないのです。

では何が真の原因か?
ここから研究が始まり、独自の検査法と真の原因、それらを改善する施術法を開発しました。

病院の画像診断で病名がついても同じ事です。
椎間板ヘルニアと診断されてレントゲンやMRIのコピーを持ってきてくれる患者さんがいます。
見ると片側の椎間孔(背骨と背骨が重なる神経が出ている穴)が狭くなっていて、ここで神経が圧迫されていると説明されます。
しかし、実際の症状は、腰全体だったり反対側の方が痛みや痺れが強かったりしています。
診断と症状が合っていないのです。
これが原因ですと言われ、患者さんはヘルニアによる神経圧迫が原因だと思いこみます。
でも、薬やブロック注射をしても良くならず、後は手術しかないと言われ、手術が嫌で当院に来院されます。

当院独自の検査で、真の原因を探し出し、その原因の調整をすると症状が改善されます。
ヘルニアはそのままで手術する事なく症状がなくなるのです。
何故なら、ヘルニアが症状の原因では無かったからです。
MRIのコピーを持ってきた患者さんで、良くなってゴルフも再開出来るようになったので、もう1回MRIを撮ってきてくれた患者さんがいました。
その患者さんは、来院するなり私に「先生の言った通りだった、ヘルニアは何も変わらず写ってたよ!」と言ってコピーを見せてくれました。
その時まで、椎間板ヘルニアや脊椎管狭窄症、すべり症や分離症、変形性腰椎症に至るまで症状を改善できる臨床実績はありましたが、それを目で見て立証する手立てがありませんでした。この時、私の診断と真の原因、それを改善する独自の施術に確信を持ちました。

こんな経緯で現在に至ります。

真の原因は、大雑把に分類すると、骨盤や背骨などの骨格、頭蓋骨、神経、筋肉、筋膜、皮膚、内臓、経絡、周波数の狂いなどが原因です。

症状はこれらのどれかか、複数の原因で現れます。
複数の場合、どれか一つを取りこぼしてもその患者さんは完治しません。

患者さんの症状の原因を、ありとあらゆる角度から探し出し、真の原因を取り除くために日々研究し、その調整法の開発を一生涯惜しまずに続ける所存です。

辛く苦しんでいる患者さんを1日でも早く、健康で楽しく幸せな日常生活や運動、元気に動ける老後を過ごせお手伝いをさせていただきます。

長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

投稿日:2013年5月16日 更新日: